【難聴×学校】思春期に聞こえないことをどう感じていたか
公開日2018/01/31最終更新日2018/01/31
思春期と聞こえないこと
割とよく聞かれるのが思春期のときの難聴との付き合い方について。
あくまでも私の場合…という話になりますが、私の場合はこう考えていたんだなあ〜という感じで軽く読んでもらえたらうれしいです(*^^*)こればかりはお子さんによって違うと思うので!
耳が悪いことは、絶対に治らないという考えが根底にあった
実は幼稚園くらいのころからずーっと思っていたことがあって、それは
「補聴器をつけても、将来的にも、耳が悪いって言うことは絶対に治らないこと」なんだなと言うこと。この点に関しては両親が私に希望をもたせるようなことを一切言ってこなかったこともあり、小さいときから、「聞こえない事=治らないこと」というのは、現実として受け止めていたように思います。
言葉の勉強を頑張れば、会話がわかるようになるというような話はしていました。
でも、聞こえる子と同じように聞くことは頑張っても難しい。という現実を現実として教えてもらっていたのは、すごく私にとって良かったと思っています。
変に希望を持って、あれ…?と思うよりも、幼稚園くらいのころから小学校中学年くらいの間にかけて少しずつ諭されていたので至極当然の事実として受け止めていました。
私の場合は性格が現実主義かつ、楽天的だった。
私は比較的現実主義というか、考えても無駄だと思うことはハナから考えない!というタイプなので、
「どうしてユカコだけ耳が聞こえないの?!」
「耳が聞こえるように産んでくれたらよかったのに!」
というようなことは殆ど考えたことがありませんでした。
だってもう、聞こえない子として生まれちゃってるし、今からそれを愚痴っても聞こえるようには変えられないでしょ。という気持ちのほうが大きくて、その愚痴は誰かに対して言ったことはありませんでした。
たまに他の難聴者が親にそういうふうに言う!という話を聞いても、そこで怒っても無駄すぎない??と思っていました。だってそこで怒っても、神様でもないんだから、誰も何も変えられないじゃん…と。※あくまで私の考えですよ!笑
母にも聞いてみました。
ユカコ
母
もちろん「聞こえないって大変!」って思ったことは数え切れないほどある!特に思春期。
▼中学校の修学旅行、TDLにて(この時も夜は暗くて口が見えなくて大変だった!笑)
でももちろん聞こえないってめっちゃ不便〜〜?と思うことはそりゃもう、数え切れないほどあります。私自身が聞こえない事は、事実として受け止めていたけれど、聞こえないことで色々と困ったことなんて本当にあげだしたらキリがないくらいあるんですよ!!!笑
私の場合は割りと「友達とも楽しくやれて、自分が楽しければオールオッケー!」と割り切るタイプだったのですが、それでも凹んだことはたくさんあります。
小学校入学くらいから、周りとの聞こえの差を実感する
やっぱり小学校に入ると授業形式で進めたり、講堂に集まって話す機会が増えることで、理解していないと思う場面が増えました。なので、”先生の指示”ではなく、”周りの行動”を見て動いたりしていたこともよくありました。そんなこともあり、私って「聞こえない」んだなーときがつくのは結構早かったと思います。
全校朝礼なんかはそもそも「聞いてすらなかった」レベル。あー早く時間過ぎないかな〜と思ってぼんやりしていました。
小学校中学年くらいから人間関係の難しさを感じ始める
小学校中学年くらいからは、人間関係が「聞こえに頼る部分が大きいな」と思う部分が多くて、難しいなと思うことが増えました。
「会話」だけではなく、会話の裏を読み取ったり、その場の空気を読み取るというのに、「聞こえていない」と難しいんだ!と気がつく場面が増えました。
この頃から自分と周りの聞こえ方の違いに気がつきはじめました。
たとえば、女子あるあるなのですが「同調」というか、同じような環境だからこそ盛り上がることって多いんですね。なので「私も同じような感じだよ〜?」という話をしたりします。
そういうときに自分一人だけ同じことを話しているようで、少しずれている話をしたりしてしまい、周りの子の表情を見てあれ?と思うようなこともありました。
例えば、テスト勉強でも、本当は勉強していても「えー全然勉強してない〜?」ってみんないうんだけどいやいやホントはみんなしてるでしょ!みたいなことってありますよね。
実際は勉強しているグループは裏でたいてい勉強してるし、本当にその言葉の通り全然勉強をしてないグループもあって、自分がどこに属するかでも対応が違ったりするんですよね〜〜(説明が難しい、伝わるかな…)
そういう細かい空気の読み方はやっぱり聞こえてないと大変だな。と思います。
他にも、クラスで盛り上がっていることやみんなが当然として知っていることを自分だけ知らない!ということが多々起きます。たとえば「今日は放課後班に分かれてお楽しみ会の練習をする!」っていうようなクラスみんなが知っている。という話を私は全然知らなくて、帰ろうとして引き止められてびっくり!みたいなこともありました。
こういった細かい話は今度また書かせてもらうとして、ざっくりこういうふうに人間関係の難しさっていうのを感じるようになったのが小学校中学年以降でした。
▼小学校中学年の頃の私(中央)
聞こえていたら、もっと性格が変わっていたのか?
って思うことももちろんありました。特に中高生くらいのときは、結構学校での性格だったり、その場のノリやおしゃれかどうか、、、などで付き合う友達って変わると思うんですね。なので聞こえてたらもっとこんな性格だったのかなー?と当時は考えることがありました。
(なんだろう、スクールカーストっていうのかな?笑)
私の場合、楽観的な性格も会って聞こえない割に楽しく学生生活を過ごしていたほうだと思うのですが、それでもやっぱり聞こえないからこそ、気の利いたことを言えない!とか、授業中に、クラスがもりあがっても突っ込んだりできない!とかはありました。
他にも聞こえない私が班に入ると迷惑じゃないかな?とか、気を回して変な方向にネガティブになることもありました。
ただ、今となっては本来の性格と変わらないので、耳に影響されて性格を含め、周りを気にしていたのは中高生の間だけでした。
聞こえのことを乗り越えたのはいつ?
実はこれ、よく聞かれるのですが私としてはちょっとずつ乗り越えてきたのかなあ〜と思っています。だんだん経験をつむことで空気が読めるようになったり、過去の失敗体験から、このときはこうしようという風にうまく対応できることが増えてきて、あれ?意外に私大丈夫じゃん!とか、周りにそこまで聞こえていないからって迷惑に思われていないなあとか、そういうふうに気がついて少しずついろんな壁を乗り越えてきたっていうのが一番近いなと思っています。
年齢によって聞こえへの悩みとか、会話のレベルとかってどんどん変わってくると思います。
なので、その都度その都度試行錯誤しながら乗り越えることで今の私が出来上がったのかな−って思ってます(*^^*)
正直言えば今だってちょいちょい失敗はしてるんですよ〜!たとえば保育園のお母さんとの会話はまだ試行錯誤しているところがあったり。笑
デフサポで、ワークショップとか講演会をやるときだって「何言うてるかわからんくらいわかりにくい口の形の人が来たらどうしよう」とか思ったことあるし、質疑応答のときは電気をつけて客席を明るくしたらよかったな。と思ったり。
でもやってみたら案外なんとかなる!とも思っています。笑
とはいえ、やっぱり小学校5年〜高校2年くらいまでは、「聞こえないこと」が大変だと思うことが多かった
これ、自分自身の性格や環境ももちろん大いに影響しているのですが、意外と、周りの環境や、周りの子供達の年齢も関係あると思うんですよー。
大学生くらいにもなると周りもより自立してきますし、人のことをあまりどうこう言わなくなってきたり、考え方も自分が主体になってくると思います。
でも、中高生くらいだとやっぱり世界が狭いというか、異質なものを排除したりする雰囲気があったり、精神的にもまだまだ幼い部分があるので、どうしてもお互い聞こえとか不便なこととか、周りの見た目とかを気にすることが多いんじゃないかな〜??と大人になった今、思っています!
こんな感じでとっても長くなってしまいましたが聞こえについて私が思春期のときに考えていたことをまとめてみました♥一つの参考になれば嬉しいです(*^^*)