シンボル遊びともいわれる“見立て遊び”は、1歳ころからみられるようになりますが、これがことばの発達と深い関係があるんです。このことは、一般的にあまり知られていないかもしれませんので今回はそのお話をします。
見立て遊びとは?
例えば、「長四角の積み木を携帯にみたてて、耳にあててぶつぶつつぶやいている」お子さんがいたら、それは見立て遊びをしていることになります。本物の携帯電話でなくとも、積み木を携帯電話に見立てて遊んでいるからです。
「赤い信号」という記号は、赤ちゃんにとっては単なる「赤い丸」で、まだ意味のある記号ではありません。
もっと大きくなって状況が理解できるようになってくると、赤い信号が「止まれ」という意味のある記号だと理解することができるようになってきます。
この赤い信号の意味づけは、ほぼ世界共通になっているでしょう。当たり前なので意識したことはないかもしれないですが、ことば自体が「意味のある記号」になりえます。
「とまれ!」と聞いていても最初意味がわからない限りは無意味な音ですが、そのうち、「とまれ!」といわれる状況を何度も経験しているうちに「止まれ!」ってこういうこと?という意味付けがなされ、赤ちゃんもそのことばを理解できるようになってきます。同じように、「スタンナ!!」は、何度も聞いているうちにスウェーデンに住んでいれば「意味のある記号」になってきます。(「スタンナ」はスウェーデン語で「止まれ」という意味です)ただし、スウェーデンであれば、意味のあることばでも私たち日本人にとっては無意味な音のままです。
見立て遊びと同時にことばが増えていく
1歳ぐらいになると認知がますます発達してきて、スプーンをみると食べるマネをしたり、コップを手にすると水が入っていないのに飲むふりをしたり、見立て遊びが発達していきます。
それと同時にことばが増えていきます。例えば、「積み木」を携帯に見立てられる時期になってくれば、「もしもし」という音声を聞いただけで携帯のことを思い浮かべることができる能力が潜在的にあるということを意味します。
「もしもし」あるいは「ケータイ(携帯)」と聞いただけで本物の携帯電話を想像できるようになっていれば、音と物の連携が成立しました!!
その言葉は立派に理解語彙の仲間入りを果たしたことになります。ただし、大人の「携帯」ということばと子供の「ケータイ」という言葉の意味が全く一致しているわけではなく、経験の中で調整されていきます。
ことばの出始めの頃は物(名詞)の語彙が身に着けやすい!
こうして、子どもが見立て遊びをするのはよく目にする物についてですし、役割についてもある程度認識ができる物です。
初期の頃は、自分が関わる身の周りの「物」(名詞)の語彙が動作語や様子ことばよりも身につけやすいといわれている理由がこのあたりにあるといえるでしょう。
絵も記号である!
「もしもし」という音声だけではなく、「絵」も記号に入ります。
携帯のイラストをみて、携帯のイメージをもつことができるのは、小さい赤ちゃんにはできません。写真・絵と実物のマッチングができるのは認知的に発達してきてからです。
しかも、写真、絵、音声という三つのシンボルの中では、写真→絵・イラスト→音声(オノマトペ)→音声(オノマトペ以外)の順で実物との関連性が弱くなるので、この順番でシンボル的にはより高度なシンボルになるといえるでしょう。同じように、ジェスチャーや手話もシンボルに入ります。
音声言語は実物との関連性はない!
とくに音声言語の場合は、実物との関連性(類似性)なんてオノマトペでない限り全くないといえます。
なんで、あの紫色の粒がたくさんついた果物が英語では「grape」で日本語では「ぶどう」という音になっているのか、因果関係はとくにないんです。どうして「ぶどう」って「ぶどう」っていう音になったの?と聞かれても答えられません。極端な話をすると、「ぶどう」でなくて「うどぶ」でもどんな音で表現されても問題ないんです。つまり、そこに住んでいる人たちがその音声をきいて共通したイメージを頭に浮かべることできるのであれば、何でもいいんです。
「イメージ」には、実物の電話が頭に浮かぶだけでなく、その物の使い方を知っていることも含まれます。積み木を携帯に見立てて「もしもし」と見立て遊びをしているお子さんは、携帯を大人がどんな風に使っているかをよく観察して、その模倣をしているのです。
初めてみる帽子をみても自分の知っている帽子のイメージと一致するのであれば、すぐ「頭にかぶるものだ」と認識でき、頭にかぶろうとします。おもちゃのブラシをみて、髪をとぐようなしぐさがあれば、これも立派な初期の見立て遊びです。
赤ちゃんが「ぼうし」を「かぶるもの」、「外におでかけするときに使う物」「やわらかいものでできているもの」という感じで帽子のイメージ(帽子の意味)としてもっていたとしたら、「麦わら帽子」は布でできていないので、「ぼうし」というカテゴリーに入らず、麦わら帽子は帽子として認識しないかもしれません。
初期の頃は、自分のぼうしだけを「ぼうし」と呼ぶかもしれません。麦わら帽子もかぶるものだし、外でおでかけするときに使う物で、大人が「ぼうし」と呼んでいたら、「あ、ぼうしってこういうもの?」というイメージの調整が起こるわけです。
要するに、毎日の体験の中で、子どもはイメージ(意味)の軌道修正を行っているわけです。例えば、麦わら帽子のときだけ大人が「むぎわら」と呼んでいたり、あるいは「ぼうし」ということばがそのときに耳に明瞭に入ってくる機会がなかったら、麦わら帽子も「帽子」であることに気づかずに過ごしてしまいます。
「ぼうし」ということばの意味を教えたかったら、大人がもつイメージに近づける必要があります。ここで大人が指さしながら「これは、ぼうし」ということばを教える方法には限界があります。「ぼうし」ということばを短い文の中にいれてたくさん聞かせてあげましょう。
ぼうしを渡して実際に自分で頭にかぶってもらい体験しながら
「あ、かぶれたね、ぼうし!」
「ママにもぼうし、かして」
「ねえねのぼうしもかぶる?」
「大きいぼうしだね」
「ぶかぶかのぼうし!」
と「ぼうし」ということばを繰り返し短文の中で聞くことの方がどれだけ有意義な時間になることでしょう。
過大汎用とは、本来の語彙の範囲より広く使うこと。
余談ですが、初期の頃はあることばを大人の語彙における範囲より広く使うことがあります。それを「過大般用」といいます。さきほどの「ぼうし」と反対の現象です。
例えば、「ワンワン」を犬だけでなく、4つ足動物すべてに対して使ったり、「ブーブー」を自動車だけでなく、電車などの乗り物一般に使ったりすることをいいます。これもカテゴリー化の一種でそのような認識ができるのは認知が発達してきているからできることです。このようにカテゴリー分けも次第に調整されていき、大人のカテゴリーに近づいていきますのでご安心ください。
子どもが猫をさしながら「ワンワン!」といったとしても、自分の発見を親と共有したいという思いをくんで受け止めてあげましょう。決して「違うよ!ワンワンじゃないよ。」と否定せずに、「あ、ニャーニャーだね」と正しいことばでフィードバックしてあげましょう。
※以下専門的な内容です※
実は、ことばと意味を結びつけることを助けてあげることを大人が日常的にしているという報告があります(荻野・小林、1999)。
13ヵ月児の自由遊びの中で、「養育者は玩具や事物を提示する際には必ずその機能に関係する動作とともに提示するとともに、圧倒的に多くの場合、擬音語・擬態語を同時に伴わせていました。ティーポットから注ぐふりをしながら「ジャー」という言うなどです。こうした語はその後、子どもにより取り込まれ、「ポット」「注ぐ」などの規範的な語よりも先に獲得されていました。
このような事実は、ことばの獲得とは少なくとも幼い子どもにとっては単に恣意的な言語シンボルと世界のある部分とを対応させていくことなのではなく、豊かな手がかりの支援を得てはじめて可能となることを示しています。」(岩立・小椋、『よくわかる言語発達』38ページから引用)
初期の頃の見立て遊びが発達していくと、どうなる?
語と語を結びつける語連鎖(2語レベル)が始まる時期の遊びは、「人形の赤ちゃんを食べさせたあと、歯磨きをするごっこ」など、連続した行為遊びができるようになってきます。ここでも見立て遊びとことばの発達の関連性が見出せます。
ひとり遊びや並行遊びが3歳になる頃には減り、その代わりに共同的な遊びや連合的な遊びが増えていきます(下の図参照)。よく3歳頃から社会性のある遊びになり、他の子どもとかかわりあいながら遊ぶことができるといわれていますが、まさにこのころになると、ことばのレベルも他のお子さんとも会話のやりとりができるぐらいになっています。
1歳の頃に、「歩き始め、初語がでてくる」というマイルストーン(指標)はとても有名ですが、1歳の頃に見立て遊び(シンボル遊び)が始まります。遊びの内容が子どもの認知と関わっており、かつことばの発達と深い関係があるということも知っておきましょう。
そして難聴児の場合も、「これは、ペンです」(まさに批判されている英語教育のThis is a penの世界です!) と教えていくスタイルではなく、日常の遊びの中で、繰り返し自然なことばを聞かせてあげましょう。
なぜなら、小さいお子さんは経験できる身の回りのものや出来事、周りの人との相互的関わりの中で、語彙を獲得しやすくなるといわれているからです。
矢崎 牧 先生
図解作成:牧野友香子