執筆者紹介
中津さん(J-CODAの会 2019-20会長)
著者(中津さん)からのメッセージ
聴覚障害の親をもつ聞こえる子どものことを、「コーダ」(CODA ; Children of Deaf Adults)と呼ぶことがあります。ここでは、コーダと聞こえない親との関わりについて、ひとりのコーダ(私)の立場からお話させていただきたいと思います。難聴のお子さまをもつパパやママには、お子さまが「やがて大人になって、結婚をして親になるかもしれない」という未来に想いを馳せながら、お読みいただければ嬉しく思います。
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コーダとは?
コーダとは「聴覚障害の親を一人以上もつ」ということ
Q:親が難聴の子どももコーダっていうの?
はい、そうです。
コーダには、「CODA International」という国際的組織が存在するのですが、CODA Internationalによれば、コーダとは「聴覚障害の親を一人以上もつ」ということのみ定義づけられています。
ですから、親がろう者でも難聴者でも、両親とも聴覚障害でもどちらか一方の親のみが聴覚障害でも、聞こえる子どもは、みんなコーダということができます。
コーダって日本に何人いるの?
正確には分かっていないが、少なくとも2万人以上いる
アメリカの少し古い聴覚障害者の人口調査(The Deaf Population of the United States, 1974)をもとにすると、聴覚障害のある親から産まれる子どものおおよそ90%弱は、聞こえる子どもなのだそうです。
その割合と、日本の厚生労働省全国在宅障害児・者等実態調査(2018)をもとに、ざっくりと試算してみると、日本では少なくとも22,000人のコーダが存在していると推定できます(中津・廣田, 2020)。この試算は、最も少なく見積もった結果なので、実際には、もっとたくさんのコーダがいるのだろうなぁ、と思っています。
コーダと聴覚障害のある親の会話
家庭によって異なるが、子供なりに視覚的な伝達法を使うコーダがたくさん。
「コーダは、聞こえない親と、どうやって会話をしているの?」って、とってもよく聞かれる質問かもしれません。まず、我が家を思い返してみると、私の父は日常的に手話で会話をするろう者なので、私は物心ついた頃から、親子の話題に必要な程度の簡単な手話は習得していて、手話を使って話をしていました。
とはいえ、今思えば、ほぼ父にしか伝わらないような、語彙の少ない手話でしたが。ちなみに、私の弟は、知っている手話単語はわずか10個程度! 弟と父は、ほぼ身振りや空書で会話をしていて、それでもなんだか伝わっているところが面白いなと思って見ていました。同じ親のもとで育ったきょうだいでも、手話の習得度にはずいぶん差があるんですよね。このことは、多くのコーダの体験談でもよく耳にする、いわゆる“コーダあるある”の1つかもしれませんね。
以前、コーダ104人を対象に調査をしたことがあって、その結果では、104人のうち約半数にあたる48人のコーダが、「手話や口話や身振りや筆談、なんでも交えて親と会話をする」と回答していました(中津・廣田, 2020)。手話のみで、あるいは口話のみで、親と会話するコーダももちろんいるけれども、子どもなりに、ありとあらゆる視覚的な伝達方法を使って、聞こえない親と会話をしようとするコーダがたくさんいることが分かりました。
親がろう者のコーダでも、手話ができないこともあるの?
手話を使わないコーダもたくさんいるし、手話の習得が容易でなかったり、親が難聴者で手話を使わないケースもある。
我が家のように、親が手話を日常的に用いる場合には、コーダは幼少期から手話言語と音声言語との2つの言語環境に置かれるわけですから、周囲からは「コーダも充分に手話を習得している」と受け止められることが多いように思います。
親と深い意思疎通ができないこともある
けれども、うちの弟のエピソードにもあるように、コーダ=手話ができる、ではないんです。コーダは、学校や、テレビや、外出先といった、親との関わり以外のありとあらゆる日常では、聴者の音声言語の環境で過ごすことになりますから、手話の習得は容易ではない場合も、実はとっても多いのです。
ですから、親と十分に意思疎通ができないコーダもいるように思います。うちの弟も父と、例えば「テレビのリモコン取って」などといった日常のちょっとした会話は身振りなどで通じ合えていても、高校受験などの複雑な話になると、まるで通じていない! それは私も同じで、実は父と深い話はできていなかったんだなぁって、大人になってから気がつきました。(子どもの頃は、父と通じないことが当たり前でしたから、通じなさを分かっていなかったんです。)
難聴の親を持つコーダの例
手話を使わない難聴の親をもつコーダでも、似たようなエピソードを語ることがあります。特にコーダが思春期の頃になると、「親に向かって話をしても、何度も聞き返されると話す気力がなくなっちゃう。」とか「話すときに、いちいち親に口元を見せなきゃいけないことが、面倒くさいというか、腹が立つというか。なんで私だけ、こんな目にあわなきゃいけないのって。」といった語りが聞かれたりします。
大人になると受け止め方が変わることも
とはいえ、多くのコーダは、思春期を終えて大人になる頃には、親のことを見つめなおして、親の聞こえないところも含めて受け入れながら、親に感謝したりするような気持ちをもつように変化していきます。「聞こえない親から教えてもらったことは、実はたくさんあったんです。」「親のこと尊敬してるかって聞かれたら、尊敬してるかなって。」といった風に。
難聴児の幼少期の親子関係は、コーダにとっても大切なもの
親が聞こえなくても、深い話ができるようになりたいし、聞こえないことを堂々と受け止めてほしい。
ただ、思春期のコーダであっても、聞こえないパパやママに話を聞いてほしかったり、話をしてもらいたかったり、親と深い話ができたという満足感を得たりしたいと思うときがあるんです。
でも、そのときに聞こえないパパやママが、聞こえるコーダと会話が通じなくても、「そんなものだ」「仕方がない」って思っちゃったりする場合もあって。
コーダの立場から言えば、聞こえないパパやママが、子どもの頃から親(コーダから見ればおじいちゃん、おばあちゃんですね)との楽しいお喋りや深いやりとりをたくさん経験することで、もしかしたら、やがて自身が親になったときに、コーダの我が子とも同じような関係性を形成しようとしてくれるのかもしれないなぁと思っていたりします。聞こえないパパやママの幼少期の親子関係は、コーダにとっても本当に大切なものという気がしています。
聞こえないことを肯定的に受け止めて欲しい
もうひとつ、コーダは、いつも堂々とした親が大好きです。
コーダの立場としては、聞こえないパパやママには、実際には親になるもっともっと前、まだまだ小さな子どもの頃から、聞こえない自分そのものを、肯定的に受けとめることができる素地を育んでいってほしいなぁと思っていたりします。
聞こえない子どもは、世界が広がるにつれて、他者との比較の中で、自分が少数派であることに気づき、もしかしたら思い悩むこともあるかもしれません。
けれども、ありのままの自分をそのまま丸ごと受け入れて、「私は私のままでいいのだ」と思えるような自己肯定感を持ち続けて、そしていつかコーダの親になってほしいなぁと願っています。親が、聞こえない自分に対して堂々と自信をもって向き合い続けていることは、実はコーダにとっても、とても嬉しいことなのです。
さいごに
以上、聞こえない親をもつ聞こえる子ども「コーダ」について、紹介させていただきました。ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。