【母の体験談】ユカコの難聴がわかるまで⑥

さて本日も昨日の続きです~♪とりあえず最終編!(①~⑤はこちらをご覧ください。

なんでユカコは普通学校でうまくいったのか?ということについてお話していきたいと思いますー^^


■地元の環境が良かった

地元の友人たちが地元の幼稚園に通い、そのままみんな同じ小学校、同じ中学校・・・と進学する感じでした。

同じ幼稚園で、「耳のことを意識せず、体感して知っている」メンバーの8割以上が同じ小学校に上がる環境だったのもあり、聞こえないことにに関係した小学校入学に対する”不安感”はほぼありませんでした

更に小学校から中学に上がるとき、私の学年は中学受験する人が2人しかおらずそれ以外のメンバーは全員同じ中学に上がる!というくらい。(今思えばみんな地元好きやな~~w)

また、学年の雰囲気的にもいじめ等をするような感じでもなく、普通にやさしい子に囲まれたのもすごく環境が良かったと思います。


■性格的に人見知りするタイプではなかった

 

2歳半のエピソードとかだとこんな感じ。笑

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工事しているおじさんにいきなり「わあ!!おじさーん!危ないよー!!!」と話しかけたり、公園とかで知らないおばあちゃんに話しかけていたり…※多分聞こえてないので会話が成り立っているっていうよりはユカコが一方的に話してるだけ。

ただ2歳半ということもあって、相手側があんまりユカコの発音の悪さとか、一方的にしゃべることを気にしていなかったとおもわれます。笑

そして今はもはや社交性を持ち合わせていないレベル・・・ちょっと過去の私を見習いたいくらいです。笑

 

また、性格的にも聞こえる子に混じっていても物怖じしたり、自信がなくなるタイプではなく、普通に過ごせるタイプだったようです。

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そして・・・個人的にはこれが一番よかったのでは!?とおもっているのが、

■小さいときから当然のように聞こえる子に混じっていたこと

例えば、0歳~3歳の幼稚園入園前には、公園のメンバーで毎日のように一緒に遊んでいました。(※公園のメンバー:いつも同じくらいの時間に行く同じ月齢の子供たちの親がたまたま仲良くなった)

モチロン耳が聞こえないのは私だけで、ほかの子たちは普通に聞こえる子たちでした。それ以外にも親同士が友達で、、、という子供同士で遊んだりしていました。

今思えば母も、父も、そして同居していた祖母もいろんな人(自分たちの友人や、近所の方々含め)に私の難聴を隠すことなくオープンにしていました。

 

そして、年少のときのA幼稚園、年中・年長のときのB幼稚園、いずれも聞こえる子しかいなかったのですが、普通に一緒に生活をしていました。

※B幼稚園ではこんな感じでした。→母が幼稚園の先生に感謝していること。

なので、自然と「ユカコは耳が聞こえないから口を見せて話してあげないといけない」と身に刷り込まれており、私自身も皆がそうしてくれるのが当たり前になっており、自分だけたまに分からないことがあってもそんなもんだと思っていたので、特にストレス等感じることなく楽しく聞こえる子たちに混じって生活していました。

また、もともと聞こえる子たちの中で過ごすことが多かった私は、

「自分が耳が悪い」ということは分かっていたものの、

じゃあほかの子は「どのくらい耳が聞こえてて」「どのくらい自分と違うのか…」

ということをたいしてわかっていませんでした。

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なのでかえって変に卑屈になることなく、

「皆は耳が聞こえてる、私は耳が聞こえない。」で?だからなに??

って言うくらいの感覚で過ごしてきたことは本当に良かったと思っています。

 


週に3-5回ほどある「ことばの教室」へも幼稚園を早退していっていたのですが、その時もクラスのみんなが園の門のところまで送ってくれたり(本当は教室から出たらだめなので先生に怒られてたりw)、本当にみんなにかわいがってもらっていたと思います。

 

あの子、聞こえない子やねんー!みたいに、変に気を使ってもらったりする感じではなく、そうそう、ユカコは聞こえないねんやった~位の感覚で自然と馴染んでいたので、そこがよかったのかな~と思っています!^^

※もちろん、小学校、中学校にあがるにつれて私自身も障害を自覚しますし、不便なことは多々感じるようになります。無邪気に自分の耳のことで何も考えずに済んだのは幼稚園くらいまでだったと思います。

なので、物心がつく前に、聞こえる子たちと当たり前のように過ごしてきたことが良かったことだったかなー♪と思っています。

さてさて、長く続いた「【母の体験談】ユカコの難聴がわかるまで」シリーズですが、これにて終了です!明日は番外編について…笑