新しい環境への挑戦と、自信をつけることの大切さ④
公開日2016/08/23最終更新日2018/01/13
自分に自信をつけるために
本日は前回続きから~。
新しい環境への挑戦と、自信をつけることの大切さ①・②・③
今の私がどうやってコミュニケーションで自身を持っていったのかというお話。
私の母もすごく過保護だった!
どんなふうに過保護だったかというと・・・
風邪をひいたときに近くの病院に行く時は100%親がついてきていました。
確かに受付の人や看護師さん含めドクターもマスクをしていることが多く、口が読みづらいということもあったし、私も親がいないことが無かったので、毎回ついてくるのが当然のように思っていたのですが、よく考えたら20歳で常に病院に親が付いてくるって、実際は結構レアですよね。
妹はこの時過保護すぎるだろ!と思っていたらしい。→妹の話はこちら
他にも区役所に行くときは毎回ついてきてくれていたり、過保護エピソードを語り始めたらキリがない、、、!
一人暮らしをして初めてどれだけ助けてもらっていたかを実感!
22歳になって大阪から上京して一人暮らしを始めたんです。就職と同時に初の東京。
そこで一人暮らしをして初めて私って世間知らずだな~と思ったり、あ、こういうのも本来自分でやらなきゃいけないんだよね!と改めて気が付いたり…。結構過保護に育てられていたんだな~~と思いました。
一人暮らしをするのも結構心配されていたのですが、私自身一人暮らしを経験しておいて本当に良かったー!!!と思っています。一人暮らしをしないまま、ずっと実家にいたらぜったい甘えたままやらなかったことがすごくたくさんあると思います。
もし成人した難聴者が自宅にいるようであれば一度は一人暮らしを体験させてみるのもすごくいい経験だと思います。
いやおうなしにインターホン応対はしなきゃいけないし、何かあればマンションの管理人さんに自分で言いに行かなきゃいけないし、病院も自分で探して、自分で行かないといけないし…掃除機をかけるのも時間帯を考えなきゃいけないし、洗濯機を回すのもそう。困ったことがあっても基本は自分で対処しなきゃいけない。
22歳になって初めて・・・改めて”今まで全然自分で気にしていなかったことや、やっていなかったこと”ってすごく多いんだな~~~!と気が付きました。(遅いw)
しかしながら…私の親は確かに過保護でしたが、、、
今思えば、かなりいろいろなことや、結構無謀な事にもに挑戦させてくれていた!
特に聞こえる子の中に、一人難聴の私をポンと放り込むことが多かったです。
例えば、小学校低学年からずっと続けていた水泳。
プールなので補聴器も外すし、メンバーも進級とかで毎週のように入れ替わりが激しかったので結構ちょっと緊張するシーンも多かったです。
例えば泳ぐ際、トップバッターに立つと、次はクロールなのか?バタ足なのか?等何をすればいいのか分からなかったり、周りのメンバーがみんな耳のことを知っているわけではなかったので話しかけられても気づかず無視してしまうことも多々あったり。
それ以外にも、小学校4年から通い始めた塾も私だけが難聴者でした。もちろん当初の入塾の説明の際には母がいろいろと難聴のことを説明してくれますが、その後実際に入塾してからの人間関係や、困ったこと等は自分で解決する必要がありました。もちろん塾なので親はついてきません。
ユカコは、幼少期からずっと私自身の力で、その場その場で起きた問題を解決するという必要に迫られる場面が多かった。
学校のように、みんなが私の難聴のことを知っているわけではなく、私の難聴のことを知らない人も多い中でどういう風に対応するのかとか、最初に自分のことを説明しても、入れ代わり立ち代わりでメンバーが変わるときはどうしたらいいのか?とか
先生方が他のことでいっぱいいっぱいで、口を見せてくれなかったりと、サポートしてもらえない時は、どうやって乗り切るのかとか、
部活に入っているときも反省会とか怒られているときで「え??今なんて?」といいづらい雰囲気の時はどうすればいいのかとか、
色々と自分なりに考えて失敗したりしながらも試行錯誤して、乗り切った経験が今の私を作り出しています。
私の母は、過保護なところもありつつ、こういうチャレンジは結構ポンポンとさせていました。
それが良かったのだと思います。
18歳の冬、爆弾発言をした私。
こんなふうにいろんなチャレンジを経て、下積みをしてきたおかげで、聞こえる子の中でもなんとかなるわ~~!という度胸の付いた私は。こんな性格になりました。
18歳の冬、「先週スノボ行って超たのしかったー!!というわけで来年の冬は山に篭るわ!!」と突然の爆弾発言。
そして、実際に19歳の冬。さくっと山に篭っちゃいました♡
もちろん親の大反対を押し切って。
特に我が家は父が厳しく、お堅いタイプなのですが、その父とバトって、母にも行くって決めたし行ってくる!ちゃんと単位は取るから!!!と言って野沢温泉に篭り、テスト期間の間だけ大学に戻る…といったことをやっていました。(ちゃんと単位は取りました!)
何を言っても聞かないし、どんどん自分勝手に準備を進めていく私に親は本当に呆れていたそうです。そして、最後はもうあきらめたそうです。笑
そして新しい”山篭り”という世界で人間関係も上手くいき、たくさんの友達に恵まれて毎晩飲み歩きながら楽しみまくった私は、さらに自信もついて調子に乗りました。
19歳、山ごもりから帰ってきた私はさらに爆弾発言!Part2
スノボから帰ってきた19歳の冬。
20歳になる年の夏には。。。
「ユカコなーー1人旅してみたーい!3ヶ月海外放浪してくるわ!!!(観光ビザのMAX範囲)」
と英語もできないのに突然いいだし、
母は、「国内ならまだしも、海外は何かあったときにサポートできないし、治安も悪いところもあるし、英語できる子と行くならまだしも、1人でなんてあほちゃう!?あかんにきまってるわーーー!!!」と大反対したのですが
こちらも父と母と攻防の結果、
最終的には強行突破して行ってきちゃいました♡
(しかも、アメリカしか行かないとかいいつつ、実際はメキシコも、カナダも行ってきちゃいました♡)
こんな私なので、両親にはいろいろと心をすり減らすような心配をかけたと思います。でも、こういうことをやったおかげで、自信もついたし、度胸もついたと思います。
自分で決めたこととはいえ、かなり不安だったし、恐怖心もあった!
もちろん自分で決めたこととはいえ、かなーーーーーり不安もありましたし、恐怖心もありました。でも、それでも自分ならできる!と心の底にある自信だったり、これまでの経験値が積み重なって、なんとかなる!!と思い切れたのだと思います。
現に、この2つは私の中で大きなイベントでした。
もちろん現地では本当に色々有りました。でもそれを自分1人でどうにかしなきゃいけないので…やるしかない状況に追い込まれたら人間なんでもやるもんです。
10代、20代前半のうちに、こういうイベントを経験しておいてよかったなーと心から、思っています。
本当にあの時、新しい世界に飛び込んでよかった!!!と私は思っています。子供が生まれた今、同じことができるか?と言われるとできない気がします。
でもその基礎は両親がこれまで育ててくれた下地があってこそ。
本当に両親には感謝してもしたりないくらいです。
ことばに苦労しないように幼少期にことばをしっかりいれてくれたり、発音の練習もしてくれたりしたおかげで、色んな人とスムーズに交流をもつことができました。
※とはいえ、我が母はこんなふうに語っていました。笑
母
聞こえる子でもなかなかしないことばっかりしてー!!
普通にお友達のお母さんみんなに、びっくりされたわ。途中からはもう話のネタにしまくってたけど。笑
私自身、子供が産まれて改めて、子供にも同じように時には”大胆な選択肢が取れる”ように「自信や、自立する力、行動力、判断力」を身に着けさせたいと思うようになりました。
でも教育や育児ってむずかしいですね~~偉そうに語ってるけど我が子へは試行錯誤なところがたくさんあります!みなさんと一緒に頑張っていきたいです~!!><新しい環境への挑戦と、自信をつけることの大切さシリーズ、終了です♪