難聴児を育てたユカコの母、初登場!聴覚障害がある子を産んでごめんね。なんて思ったことはない!【デフサポちゃんねる】
公開日2020/10/09最終更新日2020/10/09
デフサポちゃんねる
ユカコ
目次
娘の難聴が分かったときどう思った?
母:はじめまして、ユカコママです。
ユカコ:ちょっとまずは難聴が分かった時のこととかユカコを育てる時にどんな思いだったかみたいなのを聞こうかなと思います。私の難聴が分かった時ってどうやったんや?やっぱりショック?
母:もう本当に頭が真っ白って言うけど本当に真っ白になって記憶がないのよね。その日のことは記憶がなくて、病院に行ったことまでは覚えてて、そこで眠らせてする聴力検査をしてもらったまではちゃんとしていたのだけど、「診断結果が高度難聴です」と言われた瞬間に頭が真っ白になってどうやって帰ったのかも分からないぐらい、訳が分からなかった。
母:その後 いろいろ”ことばの教室”みたいなの行ったりとかして、だんだん自分が落ち着いてくると、とにかくやらないといけないことがたくさん。あんまりガーンとか言っている場合じゃなかったね。
ユカコ:どんなふうになって欲しいとかあった?
母:初めはとにかくもう言葉ばっかりだったけど、先がどういうふうになるとか分からないし。今みたいにネット検索とかも出来ないから。周りにもそういう方いらっしゃらないし見たこともないから、本当にどういうふうになるか分からないけど、ユカコがちょっとずつ慣れてきた頃は、普通には喋れないかもしれないけど、とにかく楽しく人とコミュニケーションが取れるようにはなって欲しいなってそういうふうにはずっと思ってた。
ユカコ:そうなんやぁ。実際そうなった良かったやん。大成功やろ(笑)
ユカコの幼稚園時代
ユカコ:小学校とか中学校とか学生時代の時にも結構心配したん?
母:心配したね。だから幼稚園、小学校、中学校それぞれにまた違う意味の心配があって。
ユカコ:幼稚園の時はどうやったん?なんか先生に結構お願いしたりしたん?
母:先生にやっぱりお願いして「こんなふうですけど」みたいな感じで相談に行ったりとかして。先生は「いいですよ」みたいな感じで。
ユカコ:わりとあっさりやったんや。
母:公立だったし、わりと障害児受け入れ拒否とかしないような幼稚園だったからわりとすんなりと受け入れてもらって、たまたま担任の先生もすごく良かってすごく楽しく暮らしてたんじゃないかな。
ユカコ:めっちゃ楽しかった記憶はある。そんなに自分のことを障害児と思って育ったことがあまりなくて。幼稚園時代は養育施設に週に何回か途中抜けして行っていたけど、みんななんだか惜しんでくれとったよね。「ユカちゃん行くのー?」みたいな感じで。みんな門の前までみんな来てくれて「いってらっしゃーい」みたいな。
母:そうそうそう。結構楽しかったね。
ユカコの小学生時代 – 母の意外な心配とは?
ユカコ:小学校に入る時には言葉は普通に喋ってたん?
母:発音はあんまり良くはなかったけど、みんななんとなく分かるし、口を見せて喋るのはすごくみんな上手やったね。その頃からユカコが読唇が上手だったから、みんなすごい上手に喋ってくれていたね。
ユカコ:後ろから喋ったりとかせえへんかったな、みんな。
母:分かれへんねんなと思って”とんとん”とかってしたりしにいっとったなー。後ろから喋る子がおったら「いや、ユカちゃん分からへんから」とか言って。
ユカコ:先生が「ユカコー」とか呼んだりして聞こえへんくても、みんなが「ユカちゃん、言われてんで。はよいけ」みたいなそんな感じで、わりとみんなが気付いてくれて助けてくれてたね。小学校時代、聞こえへんことでどうにかなってしまうかも、みたいな心配あった?
母:すごく心配したんやけど、小学校入るときとか イジメられたらどうしようとか、勉強をついて行かれへんかったらどうしようとか。でも意外と。
ユカコ:なんとかなんとかなったん。
母:どちらかと言うと、イジメたらどうしよ(笑)
ユカコ:気強かったからね(笑)
母:めっちゃしっかりしてたし、ハッキリとこんな感じで昔から明るいし、正義感もわりと強い方で言われたら言い返すみたいなところがあるから。この調子で大きい声で早口でバーって言うから、相手がシュンとしたらどうしようかと思って。
ユカコ:低学年くらいのときも最初の頃はお母さん「学校楽しかった?」って感じやったのに、途中から「誰かに酷い事言わへんかった?」とか「イジメへんかった?」とかたまにそんなこと気にされて「えー、そっちー?」みたいな(笑)結構言う方やったからな それはあるよなぁ。
母:ハッキリしてるからね。
ユカコ:でもね、すごいのが、友達と喧嘩してもさ。
母:そうそう!口を見せて喧嘩してくれるんだよね。
ユカコ:口を隠してとかコソコソ言うとかじゃなくて、ちゃんと口見せてくれて。ユカコが聞こえへんくて「え?」とかって聞き返したら、怒りながら「だからー!」とか言ってめっちゃ口見せながらすごいハッキリ喋ってくれてて。聞こえないってことは抜きにケンカしてたよなと思って。
母:聞こえないようにコソコソ話するんじゃなくって、なんか口をみせて怒ってたよね
ユカコ:そういうのわりとあったかなーって思ったりするし。学校時代に困ったことってある?
母:ない。
ユカコ:小学校もそんなに?
母:そうやね。小学校の時はもうほぼほぼ自分で「2時に西公園集合」とか言ってみんな集めて遊んだりしてた。
ユカコ:それって今思えば聞こえへんからなんやろなって思うところもあるよな。
母:そうだと思う。自分で場所と時間決めたら間違うことないし。
ユカコ:間違えない。“みんながついて来いよ!”みたいな(笑)公園とかいろんな場所を決める時に自分がリーダーシップをとってしまえば、聞こえへんくても場所も時間も分かるし、みんなも集まるし。「じゃあどこどこ集合」みたいなことをすごい言ってた。結構うちにもみんなね集まってたし。
母:うち来てた。良く集まっていて。みんな良く遊びに来てたね。
ユカコの小学校時代 – 授業で困ったこと
ユカコ:だからあんまり小学校時代にすごい聞こえなくて嫌な思い出はあまりなくって。でもね、テレビとかに字幕は付いてなかった。昔やから全部字幕がなくて、何を言っているか全然わからへんねんけど、道徳の授業とかで字幕のない動画を40分とか30分見て、これで感想書かなあかんとかで一個も分からへんくて。お母さんが付けてなかった?字幕。
母:知り合いに字幕を付ける人がいて、その人に頼んでた。今はもっと簡単だけど、上手な人がいてね。その人のところに昔はビデオね、ビデオを持って行って、字幕付けてもらって学校にそれを流してもらったりしてたね。
ユカコ:なんか文字起こししとったよな、お母さんが。
母:私が書いて、その人が文字をパソコンで字幕にしてくれるみたいな感じだったね。
母
ユカコ
母
ユカコ
ユカコの中学時代 ‐ みんなと一緒が良かった
ユカコ:授業が結構分からへん先生がおってん。担任の授業も全部が分かったわけじゃなくて。結構聞いてなかったと思うねんな、ユカコ。そのことで何か言われたことある?
母:中学ぐらいは言われていたね。聞いてないし。
ユカコ:だって漫画読んでいたもん。中学の時、授業中に(笑)
母:前の席にと言われても「嫌」って言って行かなかったから、それは分からないよね。
ユカコ:でも前の方に行ったからって分かるわけじゃないんよね。でも みんなと一緒が良かったんよね。
母:みんなと一緒がいいから席替えしてもみんなと同じようにしてってずっと言ってたね。
ユカコ:そうやんな。だからいろんな席座って、全然わからん席とかもちろんいっぱいあって、困ることようあってんけど、勉強も何とかなったもんな。
母:なんとかなってたね。
ユカコ:負けず嫌いだったから誰かに負けたくないとかそういうのはよかったよな。たぶん今思えばな。
母:負けず嫌いやったね。
ユカコの中学時代‐母の心配
ユカコ:中学校上がるときも結構心配しとったん?
母:やっぱり中学は中学で人間関係とか女子同士のなんか女子特有のグループで固まったりとかそういうのがあるじゃない?なんかそういうのはちょっと心配したりとかはしたけどね。
ユカコ:でも結果なんとかなったみたいな。
母:そう、なんとかなってたね。
ユカコ:中学の時入学式のあとに自分で全校生徒か学年か忘れてんけどどっちかの前で100人以上の前で自己紹介してんやん。「私は耳が聞こえへんくって口を見て喋ってるから口を見せて喋って欲しいです」みたいなことを。それ今思うとすごくない?って思ってんけど。
母:すごい。すごいけど…覚えてないよね(笑)
ユカコ:嘘!?酷くない!?覚えてない!
母:そういうのわりと昔からあんまり緊張とかしないタイプやんか。
ユカコ:緊張はすんねんけど人前に出るのは平気やんな。みんな見て見てーみたいな感じやったもんな。
母:中学校の時はやんちゃな子らばっかりで、じゃんけんしてなんか罰ゲームとかしてて負けた人が変な質問をするとかっていう罰ゲームしていて。
ユカコ:なるほどな。流行ってたってこと?それは。
母:5,6人でやっていたと思う。6人の仲間でこっそりじゃんけんをして、負けた人に仲間が考えた変な質問をさせるっていうゲームみたいなのしていて。何かそれでユカコが負けて「焼きそばパンはありますか」とかね。
母:なんか変なしょうもないことを質問して5,6人でむっちゃ盛り上がって。その子らだけむっちゃしょうもない質問を順番にしてた。その時もうめちゃめちゃ目立ってたから、全然平気なんやないと思って。
学校では教師や生徒にまず難聴のことを説明
ユカコ:中学校の時も結構説明しに行ったんだっけ?
母:一応いつも説明はいく。小学校も行ったし 中学高校も。
ユカコ:中学の記憶ないわ。どうやったんやろ。
母:中学は行ったよ。
ユカコ:そっかぁ。でもなんかわりとそういうのは結構みんな説明したから、中学校の入学式の後もみんな声かけてきてくれて「ユカコ聞こえへんねや。友達になろうよ」みたいな感じで、何人か声かけてもらったりとかして。
母:小学校が一緒の子も半分おったしなぁ
ユカコ:半分残り半分を知らへんけど全然普通に声かけてくれて。人間関係も普通に楽しくやってたよな。お母さんいつもさユカコが人の事イジメへんかとか言い過ぎへんかとか言いすぎやとかっていつも怒ってたよな人に対して。
母:だってポンポン言うから。
ユカコ:そっちのほうがハラハラされていて、あまりなんか「聞こえた?」と聞かれたことないよな。
母:そうやんね。それで困ることはあんまりなかったやん?
ユカコ:なんかめっちゃ困っててんけど気づいてなかったっていうのもあるよな。
母:それもあるね、気付いてないとか。
ユカコ:聞こえへんから。ちょっと聞こえたらたぶん大変だと思うねんけど、ほんまに聞こえへんから多分気付かなさ過ぎてっていうのも絶対いっぱいあったし。何とかなってたよな 確かにな。
こんな風に生んでごめんね、と思ったことは一度もない
ユカコ:お母さんは聞こえへん子を育てる時に、聞こえへんからどうしようとか思ったことないんだよね、ごめんねとかさ。
母:それは一切ない。「こんなふうに産んでごめんね」とか思ったことは一切ないね。1回もない。
ユカコ:それ言われたこと、確かにないしなーと思った。
母:別に私がそういうふうに作ったわけでも、そんなふうにしたわけでもないから。自分のせいでもないし。例えばなんか「こんな鼻が低く産んでごめんねごめんね」と言われたら嫌じゃない?別に鼻が低いのを可愛いと思っているのにと思う人もいるかもしれない。「ごめんね」って言ったらそれが悪いことになるじゃない。本当に思ったことがないんやけど(笑)
ユカコ:確かに思ってなかったよなってそれは思うわ。だからユカコも聞こえへんことが悪いことと思ったことがあまりなくて。
母:個性と思ったこともないんだけど。障害は障害で不便やし大変やろなとは思ったけど、自分のせいでもないし、聞こえるようにとかじゃなくて、暮らしやすくするようにしないとっていうだけでそんなふうには思ったけどごめんねとか言ったこともないし思ったこともない。
ユカコ:そうやんな だからこんな自己肯定感高いんちゃう?ホンマに自己肯定感うちら姉妹二人ともあるよな。妹もおんねんけど、妹は聞こえんねんけど、妹も普通に自己肯定感高くない?
母:高い。
ユカコ:そういうのはすごいあるなーって思ったなぁ。そういうふうに育ててもらったのは良かったなーって思ってるし。確かに耳が聞こえへんことで卑屈になることもなければ、聞こえないんだけどだから?みたいな感じで全部終わっとったなとは思う。
常に言われた事「聞こえないことを周囲に伝えなさい」
ユカコ:ただ聞こえへんことを周りに言えって言われてた。私が喋れるから、絶対誤解になる。つい面倒くさくて言わなくても絶対周りは分かるから、聞こえへんことは絶対言えってお母さんいつも言ってた。
母:だって言わないと見た目では分からないやんか。補聴器していても髪の毛長かったりとかしたら、そんなにここにあるって本当によっぽど気が付く人とかじゃないとなかなかわからないし、まぁわりと喋ってるし。そうするとやっぱり誤解も招くし。あと何かあった時に聞こえないと危ないとかいう場面があったりとかしても、みんな分からないと困るから。本当に近所の人とかにも言っていたし、その辺は言っておかないと。本当に分かんない。でも自分はわりとちゃんと喋ってると思っていても、やっぱり変な発音やったりとかするとおかしいなって思われるし。
ユカコ:たしかにたしかに。でもそれは言うようになって良かったなと思うけど、言わへん時期ももちろんあるやん、私。言わへんかったりとかする時期、あったよな。
母:ちょっと恥ずかしいとかね。
ユカコ:だからね 言わへんくてって時期もあったけど今思えば言って良かったなと思うけど、あん時は言われへんかったなとか。
母:ちょっと恥ずかしい時期がどうしてもね。思春期のときとかあるからね。お母さんも一番初めに補聴器を付けたとき、知らない人には言えるけど仲良い子はちょっと言いにくかった。
ユカコ:逆にね。知らない人の方が言いやすいよなぁ。
母:友達には相手にかえって気つかわすような気がして、なんて説明しようかなとかって思ってこっちがかえって気使ったりとかしたけど今は全然オープンやけどね
ユカコ:なるほどねー。そんな感じで色々いっぱいネタはあるんだけど今日の所はそんな感じで!またねー。