【難聴×会社】難聴の新人に対して周りが気をつけていたこと8選!とチューターの余談

デフサポのユカコです。
さて、①ES編②面接編 ③研修編④新人編 と続いてきて、今回は周囲の先輩たちや、課長、部長がどう気をつけてくれていたか、というお話し。

課長や先輩が気をつけていたこと

①会議のときにはなるべく口を見せる、複数人で一度に話さない、できれば挙手をする

定例MTGのときはなるべく発言するときはユカコの方を見るようにしていたり、挙手をして注目させてから答えてもらえるようにした。他にもできる限りテキストで打つようにしていたり、ノートPCなんかで議事録を見せるようにしていた。(当時の課長さんはここを一番気をつけていたらしい。)

受け入れ前にダイバーシティ部の方に、「聴覚障害があると瞬時に誰が話しているかがわからない」ということは聞いていた。

②私が気がついていなさそうなときはフォローをするようにしていた

例えば私が気がついていなさそうな場面は多々あり、呼ばれているのに気がついていない、また会議の最中などであってもわかっていないだろうな〜と思う場面があると今の議題をさらっと教えてくれたり、反芻してくれながら会話をしてくれていました。

他にも、決定事項があったり、次からこういうふうに・・・といった雑談の内容も伝えてくれるようにしていました。

③電話機をそもそも設置しなかった

私の場合はどれだけ親しい人であっても電話は全くできません。(比較的そのケースも珍しく、難聴があっても、親兄弟であれば電話ができるという方はかなり多いです。)なのでそういったことも採用時点で伝えていたのですが、課に配属された時点で私のデスクから電話を設置しないようにしてくれていました。

当時配属された課はかなり電話応対の多いところだったのですごく素敵な配慮だったなと、跡から改めて実感しました。例えば難聴と知っている部の人ならともかく知らない人が見たら、新人が目の前の電話をシカトしているようにしかみえない…ので周りから見たときに印象が良くないということも理解してくれていたように思います。

④対外的な会議などのときは先方に聞こえないことを伝えておき、隣でノートテイクのフォロー

例えば、課内、部内の会議であれば多少聞き直してもいいのですが、そういうわけにはいかないこともありますよね。そういった対外的な会議のときは、私のことを紹介するときに「この子は耳が聞こえなくて〜」という言い方をしてくれていたので、その流れを受けて私は、そのまま自己紹介で「私は耳が全然聞こえていないので口を見ているので、口を見せていただけると助かります!」というような流れに持っていけるようにしてくれていました。

また、対外的な会議のときはできる限り大事な情報をPCにメモしてくれるようにしていたのでかなりわかりやすく助かりました。もともとうちの会社がPCでのメモに寛容だったというのはすごくメリットだったと、退職してから実感しました。

⑤わからなさそうなこと・知らないであろう言葉は事前に伝えておいた

例えば、法律的な言い回しであったり、方言、社内用語も含めて「これはユカコはわからんやろうな」という言葉は事前に伝えてくれるようにしていました。たまたま私の課は年齢層が少し高めということもあって、ちょっとユカコー、これわかる〜??「半ドン!」「フロッピー!カセットテープ!(業務には全く関係ない)とかジェネレーションギャップになる会話とかも多かったです。笑
本当に業務のときやちょっとした雑談をしながら楽しくいろんな言葉を教えてもらいました。

その他、社内用語や法律用語は事前に教えてもらっていたり、この本・HP読んでおいてねというふうに予習をさせられていたので、かなりわかりやすかったなと感謝しています。

⑥私宛に電話がかかってきたら緊急でない限りメールで折り返してもらえるようにお願いしていた

こちらはすごいなと感心したことなのですが、割と皆さんが優しくて、できる限り私の仕事は私で完結するようにサポートしてくださいました。電話でちゃっちゃと答えてしまったほうが楽なのに、それでもできる限り私に回してくれていたり、聞こえないことをマイナスに捉えるのではなくプラスに対応してくれていたなと思います

⑦ユカコには”推測禁止”を言い渡していた

(これは実は先輩に言われてそうだったそうだった!!と思いだしたことの一つです。)
私は聞こえないので経験上人の言動を推測して返答をしたり、ちゃんと読みとれていないのに、”会話を流す”ことがありました。普段はそれでも良いのですが、仕事となると話は別だときつく言われていて、「大事なことはわかったフリをしないで、遠慮しないで何回も確認するように!」と言われていたんですね。

でも私にとって推測って当然過ぎてもはや無意識の領域だったので、「そもそもわかったふりなんてしてないんだけどな…」と当初は思っていました。この先輩は本当にいろいろしっかり言ってくれる先輩で本当に恵まれていたなと思います。

⑧オペレーションの変更を行った

私が独り立ちできるように、複雑だったオペレーションをシンプルにしたり、問い合わせを電話からメールに変更したりしてくれていたそうです。(初耳!)

「こうすべきだ」「こういう対応があたりまえ」と思っていたのが、ユカコが担当することをきっかけに良い方向に変えられたのもあって、「なんだ。意外と変えられるじゃん」と思ったそうです。(一つの転機になったなら嬉しいですよね!)

チューターからの余談

※チューター:ソニーでは新人にチューターという部署内でメインで業務やその他雑務を教えてくれる先輩が必ず1人つきます。

そして実はチューターが、余談もシェアしてくれたのでぜひ共有させてください。もともとすごいメンバーに恵まれていたなと実感していたのですが、このお話をお伺いして更にその想いを深くしました。
ソニーをやめるときにも夫と母と同じくらい背中をおしてくれたチューターがこの人なのです。
ユカコを見るからには、遠慮はしないと決めました。ユカコと初めて会った日「少しは聞こえるの?」と聞いたのを覚えていますか?関西弁だったからね。全く聞こえないのなら、関西弁は身につかないのでは?と思ったので。失礼な質問もたくさんしたと思います。でも、私は勝手に「ユカコには遠慮しない」と決めていたんです。ちゃんと向き合って、思ったことは何でも言おうと。

チューター

ユカコ

確かに一発目にそれ言われました!笑 でも関西にいるときはユカコの関西弁変やなあ〜って言われてたのでむしろ意外に思いながら返事をしたんですよね。
そのあとユカコは「親が関西人だからですかねー?」と言ったので、お母さんはどんな風にゆかこに発話を教えたのだろう???と、実はこの後もずーーーっと思っていました。

チューター

ユカコ

そんなこと思ってたんですね!だから「ユカコのお母さん本当すごいね!」ってよく言ってたんですか?!
そうそう。
そして、それからユカコを観察するようになりました。ちょっとしたストーカー並でした。(笑)ユカコを観察することがユカコを知り環境を整える近道でもあると感じていました。

例えば、「あ。この人の話し方、わかりづらいだろうなー」とか。他にも「初めて知る言葉は、読み取りにくい」。それ以外にも、「この角度だと、厳しいのね。」などわかるようになりました。

チューター

ユカコ

えーーユカコ愛されてる♡そんなふうにそこまで思ってくれてたなんて全然知らなかったですー!
思い出深い出来事の一つで、、、
エレベーターの中の、他愛もない日常の会話で、「あんまん」と伝えたかったのに「あんぱん?」とゆかこに聞き返され、「違うよ、あ・ん・ま・ん!」「え?あんぱんですか?」を繰り返しました。「確かに、口の形は一緒だ・・・」と気づいたら、どーでもいい会話だったのですが、私はどうしても正しく伝えたくて、確か「肉まんに似てて中があんこの・・・」なんて説明して、ゆかこが「あー、あんまん?」って
わかってくれたような気がします。

些細なことで、ゆかこは忘れていると思うのですが、私とってはゆかこと、ゆかこのお母さんがどれだけ苦労をして「言葉を得た」かが少しだけわかった気がして、忘れられない一幕だったのです。

チューター

ユカコ

たしかにそんなことも!そして、私がいつも思っていたことなんですが、何回聞き返しても「もーいいよ。」「どうでもいい話だよ〜」っていう流すような言葉を一回もきいたことがないんですよね!いつもすごいな、って思ってました。
そうそう、イントネーションも結構教えたね。

クラブ↑(踊るところ)とクラブ↓(部活動、またはおじさんが行きそうな飲み屋)の違いをゆかこに伝えたのも、「あんまん×あんぱん」のような経験をしたからだと思います。別にいちいち直さなくても、周りの人はわかってくれるし「ユカコ、それ違うよ」とも言わないでしょう。

けど、ユカコのお母さんは、きっとこういう些細なことも、今までちゃんと教えてあげてきたんだろうなーって思うと、「今それを教えるのは自分だ!」って思い、仕事に全く関係ない、どーでも良いことも指摘しちゃいました。きっとうるさいチューターだと思われただろうなー。笑

チューター

ユカコ

感涙…。うるさいと思ったことは正直無くて。過保護だなあと思ったことは数知れずあるけれど。(笑)それ以上に救われていることのほうがたくさんありました

私、本当に深い愛情に包まれて新人時代を育ててもらったなって実感しています…。

チューターのS姉さんが異動するときに「本当にユカコ大丈夫?!わかってる?これからは独り立ちなんだよ!!!」というふうに周りのありとあらゆる人から、さんざん脅されまくったのですが、そのときは「もーなんでみんなそんな信用ないのよ!」と思っていたのですが、なるほど…!!この愛情に包まれてぬくぬく育つ新人が当たり前ではないよね〜〜!と改めて実感しました。笑

これらのチューターの話を見てもきっと分かるように、正直私はめっちゃソニーで人に恵まれました。正直、絶対どこの会社で働くよりも、絶対一番楽しかった!!と自信を持って言えます。

子供が難病をもって生まれてこなかったら。
難聴児の医療、教育の現場を知らなかったら。
どうにかしなきゃっていう、使命感をもっていなかったら。

きっと今でもソニーで働いてたと思います。なによりもチューター含む当時の部署の方々、そして異動後の部署の方々。最後に同期。今でもかけがえのない、私の心の拠り所です。ありがとう!

2 Comments

平井信幸

チューターとは懐かしい言葉ですね。私も工場でしたがソニーグループの一員てわした。丁度ダイバーシティ推進室ができた頃でしょうか、研修がありワールドカフェというのをやらされました。リラックスするためでしょうか?音楽を流されて、聞き取り辛く、やめて欲しいと頼んだことを思い出しました。難聴者のことなど何も知らないダイバーシテイワ担当者でした。あの頃はダイバーシティーといっても女性を活かす話ばかりで閉口してました。
本社圏にお勤めでしたのでしょうか?こんなきめ細かな対応をやってくれたのですね。ちょっと驚きました。ソニーは九州の子会社を除き、障害者にはあまり配慮なき会社だと思っていたのですが、少し考えが変わりました。

返信する
yukako

私場合はチューターがすごい大当たりだった!という感じですね。
もちろん、配慮してもらうだけのパフォーマンスを出すことや、できる限りは自分で努力することがベースで、その上にできることがあればという感じですが同業他社にくらべると自力で乗り越える必要は大きいと思います。
私は本社圏でしたが、一般的にはほぼ配慮はゼロでしたよ。研修も全部自分での聞き取りでしたし、会議もそうでした。その中で少しだけできたらお願いします…!という感じで地道におねがいしていった形になります。
ただ平井さんが在籍されていた頃よりは、合理的配慮の面では進化しているかもしれませんね!(*^^*)

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。